一、御祭神 大山祇命
一、鎮座地 神奈川県大和市中央五丁目四六五番地の八
一、由緒沿革
山神社は、相模国風土記及び古文書によれば、今から約三百年前の天和年中
に地頭の更迭があり、上草柳、下草柳の 二ヶ村に分れていて、当地下草柳に
は、地頭駒井兜重郎、石川五郎三郎、宅間与右衛門の三氏の采地となってから
は 山の守護神として山岳修験者の信仰のあった山王社と地域住民が一致協力
して深見山王塚より移転勧請し中村六軒大下の集落に一社づつ建立、鎮守とし
て当時は農業神として庶民の崇敬も高く、また精神的修行道場としても広く知
られていた。
明治維新後は、内務省令により神仏分離となったためにこの三社と一社に
統合して下草柳六番耕地五九四番地に合祀して山神社と改称した。
例祭には、本蓼川村巌城院の修験者が来たり奏楽を奉献し、このため遠方から
も参詣するもの多く崇敬篤くなれりと言い伝えられてきている。
御神徳は、無病息災、家業繁栄、縁結び、交通安全など祈願成就あらたかの
なかに末社には稲荷神社を奉祀して あり尊崇されてきている。
その後、地域の開発などが進んできたため氏子の総意結集により、この地に移
転神社殿を建立して昭和四十二年八月二十三日遷宮式により鎮座してより御神
徳に感銘し益々崇敬の念高まる。
一、祭事
元旦祭 一月一日
節分祭 二月節分
例祭 八月二十五日
七五三祈願祭 十一月十五日
一、社格
明治四十一年七月、村社に列せられる
昭和二十四年十一月、宗教法人 山神社となる |
一、末社 稲荷神社
○ 御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
○ 稲荷信仰の由来
稲荷神社の鎮座縁起である「山城国風土記」によれば、五穀をつかさどる神で
その名が稲生(いねなり)からきたとする説がある。
米を主食とする日本人が、稲の収穫の豊なるを願い農耕神(田の神など)を信
仰したもので、これが稲荷信仰と結びついたものとされている。
稲荷信仰は古くから朝廷、庶民の間に除災、招福、開運、出世、商売繁盛の神
と崇敬され稲荷神の神格も農業神から商業神、屋敷神としてひろまり江戸時代
になってからは農村だけでなく随処に勧請された。
この稲荷社は今から約一七〇年前の文化二年九月吉日に建立以来、五穀豊穣
長寿延命、家内安全、除災招福、縁結び、学問の神として崇敬されている。
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一、境内地
八一三平方米
一、建物
本殿、幣殿、拝殿、手水舎、社務所、倉庫、稲荷社
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○手水石の由来
この手水石は厚木航空隊基地内に建立された厚木空神社のものであったが、昭和
二十年八月十五日終戦により 基地が米軍の接収となったので破壊の危惧を深刻に
うけとめた当時の大和町長八木保隆・地元有力者とが協議し アメリカ軍に厚木空
神社の下附を要請したところ建物はすべて町に下附となったもので、その内から当
神社は、手水石を譲り受け再建して現在に到っているものである。
昭和六十三年八月吉日
山神社氏子代表
厚木空神社起
昭和十九年三月三0二航空隊(厚木航空隊)司令であった小園大佐が本土防衛の
第一線で殉職した将兵の御霊を 祀り空の守り神として武運長久と勇戦を誓うため
厚木航空隊基地内に建立したもので報国の熱烈なるに感動した 国幣中社寒川神社
宮司が洗心の揮毫を贈ったもので同年秋には荘厳に完成したものである。
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